昨日のロシアによるウクライナ侵攻を受けて学生のみなさんへのメッセージ
(ウクライナ侵攻直後の2022年2月25日にドラフトし、講義を受け持っていた学生コミュニティに向けて26日に発信したもの。最初に感じたことの記録として残しておきます。)
いままさに進行形のウクライナの状況を目の当たりにして、大きなショックを受け、打ちひしがれております。
現在の状況をどのように考えたらよいのか、自分自身でも混乱してますが、現時点で感じていることを述べさせていただきます。
というのも、国際協力を看板に掲げた講座を主催しておきながら、これだけの大きな事件についての立場を表明せずに、それはそれとして脇に置いたまま(触れないまま)でいるのは、とても気持ちが悪いと感じたからです。(もちろん、このコミュニティのなかだけで声をあげたところで、何か状況が変わると思っているわけではありません)。
1.まず一般論として、「紛争」というのは多くの場合、双方に言い分があるものであり、どちらの側にもそれなりの正義があり、それらがぶつかって起こるものと考えます。この点は、ロールプレイのなかで経験したことですね。今回の進攻の背景には、NATOの東方拡大やウクライナ東部における民族問題などがあり、そのなかにロシア政府側にも一定の言い分があることまでは理解できます。
ただし、いかなる理由があろうとも、武力によって主権国家に侵攻することは、明確な国際法違反であり、このような侵略行為を許容できる余地は一切ありません。2022年の2月24日は、まがりなりにも維持されてきた武力によって国境線を変更しないというルールが塗り変わってしまった日として記録されると感じています。これは、非常に重要なターニングポイントであり、あってはならないことが起こってしまったという事実を、繰り返し確認してゆく必要があろうと思います(私たちは、いずれ、新しい常態に慣れてしまうので、慣れないように警戒する必要があるかと思っています)。
2.国際協力という行為や事象に関心をもつ私たちは、途上国において過去に起こった悲劇的な歴史(植民地など)や災害などの結果として現在も継続している課題を少しでも改善することに資することにコミットし、開発や援助という手段のより適切な使い方を研究したり学んだりしているのだと思います。世界中に存在している課題はあまりに大きく、1人ではどうにもできないけれども、だからこそ仲間をつのり、より大きな集団で立ち向かうことに意味があることを講座のなかで学んできました。
今回のような暴力は、人々のこうした取り組みを、一瞬で破壊します。破壊は、開発や援助や協力といった営みとは正反対の行為といえるでしょう。開発や援助や協力という価値にコミットするのであれば、それを破壊する行為に対して正当に怒る権利をもっていると思います。(私は怒っています)。
これまでは、国際開発「村」と安全保障「村」の間には関係性があまりなく、業界としても、介入のフェーズも、専門性もまったくことなるものでした。確かに、内戦や戦争をやってる最中に開発事業がうまくいくわけないので、和平条約が締結され、治安がよくなってからはじめて(PKO部隊などの活躍の後)、JICAのような開発部隊がはいっていけるという構造になっているわけです。つまり、平和は開発事業を実施するための前提であり、平和がなくなればすぐに撤退するしかなく、開発を専門とする私たちは平和や安全保障のことには口出しをしてこなかったという経緯があります。
しかし今私が思うのは、開発を生業とするのであればこそ、それを破壊する行為には断固としてNoと言うべきということです。開発援助のように生産的な介入を行う場合でさえ慎重に配慮をするトレーニングを受けている私たちは、それとは正反対の暴力による破壊という形の介入を認めることはできえないはずかと思います。ウクライナの人たちのために、私たちが個々人としてできることは限られているなかで、それぞれの持ち場持ち場で本来業務を粛々とこなしていくことがまず大事であるという考えもあることは理解しつつ、今回のウクライナ侵攻について私自身が考えることを、この場を借りてお伝えさせていただきました。
講座のなかで、政策的資源を集中的に振り向けるべきは、自分のコントロールの範囲のことという話しをしました。私がみなさんにこうして呼び掛けているのは、私の影響力が少しは届くかもしれない範囲だからです。
具体的なアクションではなくとも、過酷な状況に置かれているウクライナの人たちにことに思いを馳せるだけでも、無意味なことではないと思っています。
小林誉明